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日本最大の内戦の地として知られる西南の役の舞台となった田原坂は資料館、一の坂、二の坂、三の坂などを含む田原坂公園として整備されています。 |
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明治10年、西郷隆盛率いる薩摩軍主力と熊本城救援に南下する政府軍とが衝突し、17日間の激しい戦いが繰り広げられ、32万発の砲弾が飛び交ったと言う。
弾痕の家としてデプリカが建てられている。
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植木町田原坂資料館
西南の役の激闘を繰り広げた薩軍、官軍の衣服や身の回りのもの、
砲弾や,銃などが展示されている。 |
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熊本城を築城した加藤清正が、城北方面の防衛の重要な地点とするために人工的に造成したものだったが、薩摩軍は、この田原坂で、官軍の南下を阻止しようとしたことから両軍による死闘が繰り広げられた。
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資料館から植木町を眺める |
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大楠と美少年の像 |
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戦没者慰霊塔
わずか17日間で死傷者3万5000名を出した霊を祀る |
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田原坂は、標高差約60メートルの坂道、桜の名所とのことでしたが
10ヘクタールの一面のみかん畑で、黄色い実が鈴なりでした。 |
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今は穏やかなたたづまいの公園風景。 |
熊本城のあとは、ここ田原坂へ。夫はここを訪ねることを目的にしていました、小さな資料館でしたが、わずか100年前に激闘を繰り広げた人たちの心の様を思いながら過ごしました。 |