熊本城
08年6月10日
4月20日、復元なった本丸御殿大広間の公開が始まり、2か月あまり、
雨の中、バスハイクで行ってきました。

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西出丸にある戌亥櫓と長塀。築城400年の再建事業の一貫で復興された。

西南戦争の戦禍を生き残った宇土櫓。第3の天守と言われる。

大天守と小天守。大天守は石垣の上から高さ30m、小天守が19m。
大広間(対面所)、最大の部屋である「鶴之間」(60畳)から奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続いています。金箔の豪華絢爛な障壁画で飾られた「昭君之間(しょうくんのま)」は撮影できませんでした。 慶長15(1610)年、加藤清正は築城した本丸に広間を造らせた。西南戦争で焼失したままだったが、このたび400年前の姿がよみがえった。
大広間のほかに、大台所、数寄屋(茶室)を復元した。
日本三名城のひとつ熊本城。
本丸、出丸、二の丸、三の丸を付け加え、周囲5.3キロ、面積98ヘクタール。大天守、小天守をはじめ、49の櫓、18の櫓門、29の城門からなり、本丸御殿の面積は1570畳

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