中津史跡散策
2009年9月13日(日)
中津市は山国川河口の中津平野に栄えた、奥平10万石の城下町である。
駅前の大きな観光案内板には黒田、細川、小笠原 奥平の4つの家紋が描かれ、
それらの城主のもと営まれた
武家屋敷や寺町といった古い町並みが残る静かな街です。

フラッシュ
合元寺(ごうがんじ)

静かな寺町のたたずまいに深い赤の美しい色の壁がひときわ目を引くお寺でした。
通称赤壁寺ともいわれ、宇都宮鎮房が黒田如水の奸計で、中津城で討たれた時
寺に立てこもった家臣たちも全員討ち死にしてその返り血が壁に飛び散り、何度塗り替えても
浮き出てくるため、赤く塗ったものと言われています。
境内には3つの願いをかなえてくれるというお願い地蔵が祭られています。
円龍寺・閻魔さま
えんまさまのお寺として有名、檀家の武士が旅先で閻魔大王への懺悔と信仰に
よって仏道に帰依したことから建てられたと言われ、えんま堂が境内にあります。
めったに見ることが出来ないという地獄絵図2幅を特別に見せてくださり、
説明もしていただきました。
円応寺・かっぱのお墓

寂玄上人が問答の末、河童を仏道に入らせ、水難から地区を守らせたという
お墓は境内の墓地の奥にあり、隊長に案内してもらって撮影しました。
瓦に水の文字が入ってることでも珍しいお寺でした。
大江医科資料館

代々御典医を務めた大江家、資料館には「解体新書」をはじめ、蘭学関係の
資料が集められている貴重な資料館です。

寺尾関の妻の実家とかの旅館の道を挟んだ向かい側にあり、
希望者が旅館を見せてもらってる間
外で待っていたので、早くこちらへ入ってればもっと長く見ることが
出来たのになあと、思いました。充実した医科の歴史的な資料がいっぱい、
庭には薬草の畑もあり、ウコンの花や朝鮮朝顔、レモングラス、ランタナなど
これが薬草?とびっくりする身近な植物が植えてありました、時間がもっとほしかった。
植物は朝鮮朝顔の実です。
和傘工房・朱夏

城下町中津の伝統工芸だった和傘も時代の需要とマッチせず、
70軒ほどあった工房もここ1軒となっているとのこと、
注文に応じて、傘の絵柄を変え、2カ月かかる工程で1本1万6千円とか。
装飾用の行燈も作られていました

朱夏HP
福澤諭吉旧居

日本の文明の基礎を築いた諭吉が
1歳半から19歳までの時期を過ごした、母方の実家。学問に目覚めた諭吉の人となりが
母屋や土藏、記念館に展示されていて、ビデオで改めてその偉業を再認識しました。
中津城は、豊臣秀吉より拝領した黒田孝高(如水)が
山国川(当時高瀬川)河口の地に築城したのが始まり。
 現在の天守閣は、昭和39年に建設された。
昼食
和風味処 鬼太郎で刺身定食
ビールもたっぷり、各自の自己紹介で、楽しく団らん、中津の名物、「はも」を使った
酢味噌和えが入っていて、お刺身も大盛りでした。
JR中津駅集合9時15分参加者30名(男性6名・女性24名)主催北九州街探検隊に参加
参加費4300円(戻り700円あり)往復交通費1160円、ウォーク歩数8千歩


北九州に近い中津の街だが、福澤諭吉の出身地という以外、あまり知らなかった寺町の顔を
発見しました、2時間の観光案内をしてくださった、安部氏は竜谷高校(西本願寺系)の現役校長先生、熱意のあるガイドで、詳細に中津の街の成り立ちがよくわかりました。穏やかで笑顔が絶えない安部氏の熱意、中津の街をこよなく愛されてる心も伝わりました。大江医科資料館の方と言い、中津の人は元気で大きな声で人に教えるこをに人一倍熱心な人類ではないかしらと感謝しました。

街探検ウオークは会が発足して4回目、旧知の懐かしい顔が半分、知らない顔の人も多くなりました。
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