2011年9月17日(土)
筑後川散策と久留米の文化人を訪ねて
 
 雨50%、出かけるときは雲行きが怪しいお天気だったので、
まずはウォーキング日和と思っていたら、なんと真夏の最近の
お天気と変わりない・・・久留米駅到着10時20分。強い日差しが照りつける。
坂本繁二郎、青木繁の家散策は町中、次の目的地まですぐなので良かったが・・

けやき通りを抜け、筑後川河川敷へ。ここを楽しみにして
来たのだけど、春の3倍の距離を豆津橋まで歩くコース、
時は12時をまわり、河原の橋の陰でお弁当を食べてる人もいるけれど。

春に上がった梅林寺の坂道を横目で見ながら、
豆津橋を目指す、見えてはいるけれど、なかなかそこまで
行きつかない。そのあと、どれくらいあるのか、コース表は持っていても
よくわからず、容赦ない照り返しの道を歩く。小さな日傘を持つ指が汗ですべる。

豆津橋から、後も日陰になる建物はなく、長い道が続き、
3時までに駅に戻れるのかと不安になる、やっとのことで
目的地の千栗八幡宮へ。なんと佐賀県・・・
ここからぐるりとまわって駅まで。

途中、佐賀県行のバスと何度も出会い、
忍耐の糸が切れて、長門石のバス停に座り込んだ。久留米行バスは5分後に
来る、傍の自販機でペットボトルを買い、額や首に押し付けて
冷やすが、少しも涼しくならない。

歩いてる時はほとんど人影は見なかったが、ウォーキングの人が
次々と通るのが見える。炎天下でも頑張って歩いている。
バスで10分、1時40分に久留米駅へ。ゴールのスタンプを
もらうのは面はゆいが、2ポイント押してもらう(^^ゞ

歩数11800歩。時間3時間、帰り長門石から駅までバス利用10分。

JRだと普通が往復3540円。
で、西鉄高速バスで往復1700円(グランドパスで半額になる)を利用。
 
 
坂本繁二郎生家 入り口(入場料150円)

代表作『水より上がる馬』をはじめとして馬の絵をよく描いた
 
 青木繁旧居の一室(無料)

坂本繁二郎は同じ久留米の出身で、生年も同じことから、比較されたり、並べて論じられることが多い。文学青年で浪漫派だった青木に対し、坂本には学者肌のところがあり、優れた絵画論をいくつも著している。

坂本が上京を決意したのは1902年のことで、帰省中の青木から作品を見せられた時であった。幼児から「神童」と持てはやされていた坂本は、青木の画技の上達ぶりに驚嘆し、絵の面で青木に追い抜かれてなるものかというライバル意識から、上京を決意した、とするのが通説である。同じ1902年の11月から12月にかけて、坂本、青木繁および同郷の画学生・丸野豊の3名は連れ立って群馬県妙義山・信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。青木が1911年(明治44年)、満28歳の若さで死去すると、坂本は青木の遺作展の開催や画集の刊行のために奔走した。

坂本にとって青木は無二の親友であるとともに、終生その存在を意識せざるをえないライバルであったようだ。坂本の死後、遺品のなかからは青木が画学生時代に描いたスケッチ等の未発表作品60数点が発見された。坂本がこれら青木作品の存在を誰にも知らせず、数十年に亘って秘蔵していた理由は明らかでなく、さまざまな推定がなされている。

 
水天宮
創建は、建久年間(1190〜99)、平家が壇ノ浦の戦いで破れた後
、水天宮を祀った。 水にゆかりの社として海運守護神として信仰を集めた。

 
千栗八幡宮( チリクハチマングウ)
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗 HP
神亀元年(724)郡司・壬生春成が祀った神社。
宇佐八幡別宮として尊崇され、九州五社八幡宮の一つ。
奇祭おかゆだめしで有名。

「神亀元年(724)郡司・壬生春成が夢告によって祀った神社。
壬生春成が狩猟していた時、弓の上に鳩がとまった。
鳩は八幡宮の使い。その夜、夢の中で、八幡宮境内に千本の栗が現れた。
HPより引用」

 2011年9月17日現在