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高塔山あじさい観賞と歴史・文化の若松散策
2011年6月19日(日)曇り時々雨

雨を見越して、高塔山のあじさいは見ていたが、空が明るくなっている気配、
傘を持って出かけることに。参加は自分の気分次第というのが
JRウォークのなんといっても気ままな私に合っている。
あじさい祭りなので、小雨の中高塔山の車道は下の佐藤公園
あたりから、ずっと渋滞が続いていた。これではシャトルバスも
動けないだろうなと思いながらあじさいの小道を歩く。先日あじさいの撮影は
済んでるので、写真に気を取られないのがいい。
玉のような汗が滴り落ちるが気温が上がってないので苦痛ではない。
石炭会館

築100年、当時としても廉価な洋風建築形式。

若松石炭商同業組合が組合事務所として1905年に建設した
木造で寄棟屋根のモルタル塗り。
玄関ホール横にお菓子屋さんが入っていて、
ソフトクリームやパンが飛ぶように売れていた。
築100年以上の建物が現役として使われている。
旧古河興業ビル 

古河礦業(現在の古河機械金属)が1918年に若松支店として建設した事務所
現在若松に残された近代建築の中でも最も華やかな外観をもつ。
2004年北九州市の地区公民館として開業、イベントや展示が行われている。
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上野ビル

1913年に三菱合資会社が若松支店として建設した事務所。
敷地左手に煉瓦造の倉庫があり、切妻破風に三菱の社章が刻まれている。

若松の近代建築でもっとも大きく、もっとも無骨で華麗な建築物。
わかちく資料館

若築建設の3階にある。明治23年(1890)若松港を石炭積出港として築営することを
目的として設立された会社で新社屋完成時に
同社の保存資料や地元の方々の貴重な資料を集めて公開した資料館です。
河伯洞
火野葦平が昭和15年から昭和35年亡くなるまでの大半を過ごし、
『花と龍』をはじめとして数多くの作品を生み出した家。
かっぱを愛した葦平にちなんでつけられた。
河伯洞(かはくどう)は河童の棲む家という意味。

ホームページ
9時半過ぎの戸畑からのバスで若松駅へ。
9時50分スタート、海岸通りを石炭会館、旧古河興業、上野海運の歴史的な建物
わかちく資料館では明治大正昭和の若松の歴史がわかる資料を見学。
恵比寿神社、高塔山へ、そして高野山東南院、こんぴら公園の長い石段を降り、
火野あしへいの河伯洞へ。所要4時間9キロとマップには記載されていたがゴールは12時、
歩数13000歩。時々小雨が降るあいにくのお天気だったけど、参加してよかった。
JRウォークは今日で春の分が終了、次は秋にまた始まる。
街探検ウォークのKさんに出会う。7月ウォークの下見に来たとのこと。
昨年、あじさい祭りの日に、出かけてJRウォークの人の後について東南院やこんぴら公園の
長い石段を降りたことを思い出した。あの頃はJRウォークに参加するようになるなんて考えてなかった。
高塔山にロープウェイがあった頃、それは20歳くらいだった。
わかちく資料館にその写真が残っていた。ここは撮影禁止なので、写真はないが、
先日、ホームページの検索をしていて、かろうじてキャッシュで
残っていたのを転載した。高塔山ロープウェイ