英彦山護摩焚行事 2012年11月3日(土)
 スマホで撮影したビデオ
 
英彦山神宮は、福岡県田川郡添田町の英彦山にある神社である。
通称彦山権現。日本有数の修験道の霊場として栄えた。
明治の神仏分離により修験道が廃止され、天台山伏の本山であった霊仙寺(現・霊泉寺)を分離し神社となって「英彦山神社」に改称した。
1975年、現在の「英彦山神宮」に改称した。

奉幣殿(重要文化財):修験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在の建物は、
元和2年(1616年)小倉藩主細川越中忠興によって再建されたものです。

摂社(本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社)の高住神社、玉屋神社が点在する。

参道石段の入口に立つ青銅製の銅の鳥居[かねのとりい](重要文化財)は、1637年(寛永14)に佐賀藩主・鍋島勝茂が寄進したもの。ここから、奉幣殿まで約1km、急な石段約600段を上り終えると奉幣殿にたどり着く。杉木立に囲まれた参道の両側沿いには、約30〜40の僧坊跡が残る。

護摩焚:
護摩焚きの本質は燃やし尽くす、業火によって、不安、邪心、災厄などを燃やして消滅させてしまう。
 
 
ピカサアルバム 
 10時44分彦山着JRで、すぐに町バス2便に乗った、護摩焚き行事のために
すごい人が列車に乗っていて、町バスに乗れないのではと
大急ぎで、ついたばかりのバスに一番乗り。運転士の方が、定員28名です、
臨時はありませんので、あとは次の便をお願いしますって歯切れよく
言ってて、あらあらと。タクシーもあるけど積み残された人は
1時間待つことになるのかな。


そんな風に定刻に発車したバスだけど、すぐに長い渋滞に。
護摩焚の行事など、話に聞くだけで行ってみようと思ったことはないのに。

いつもだったらスロープカーに乗るところだけど、
花公園の紅葉もあまりきれいでないまま、石段を上った。


ちょうどお昼で、奉幣殿では護摩焚きのための行者たちが勢ぞろいして
お参りをしていた。石段を下りていくについて、花公園横の広場での護摩焚き
の行事を見学。4歳くらいの男の子の行者姿が可愛かった。

14時過ぎの帰りの町バスは定刻から20分以上遅れてきて、
予定してた列車には乗れず、16時23分発まで待って帰った。歩数1,7万歩。
ひざ痛は極限に来てたのに、そのあと、小倉の町をうろうろ。帰宅は9時過ぎになった。