みやこ町勝山仲哀公園の桜


 2012年4月10日(火)
ずっといいお天気だったが、この日から、下り坂70%の雨の予報の通り、空は暗い。雨が降らないうちに行こうということで、10時スタートでYさんの車で出かける。仲哀公園には1100本の桜が緩やかなつづら折り坂の両側に植えられていて、花見客でにぎわう。はらはらと散り掛かる桜もあり、見ごろのピークは日曜日くらいだったかな。坂の一番上に旧衷哀トンネルの出口があるのをはじめてみた。通行止めのガードがしてあるが、中は通れるようだ。
 
 帰りに築城町のメタセの杜の道の駅で食事をして、
その後、菜の花の広がる場所へ。
 
 そして、増渕ダムの桜を。お天気だと良かったけど、
桜を堪能した。
 
 福岡県京都郡みやこ町勝山
 みやこ町HP
 仲哀峠

みやこ町の西北端と香春町の東端に位置しており、峠の北側に障子ヶ岳(427.3m)、南側に大坂山(573.0m)がある。京築地域と筑豊地域を分かつ山地を越える峠の一つで、国道201号が通っている。この国道201号はかつてはヘアピンカーブが連続し、狭い仲哀トンネルをくぐる交通の難所であった。1960年代に旧道の麓に直線ルートで行橋~香春間を結ぶ新道が建設され、1967年には新仲哀トンネル(1220m)が完成し、それから40年後の2007年3月5日には3代目の新仲哀トンネル(1365m)が開通し、現在に至っている。

現在では2007年竣工の新仲哀トンネルしか通行出来なくなったが、一日2万台を越える自動車がトンネルを通過する交通の要所となっている。冬場は路面凍結や積雪でチェーン規制が出やすいため、通行の際は注意が必要である。

峠を越える公共交通機関として、行橋市と香春町(新仲哀トンネル入口そば・呉バス停)を結ぶ太陽交通の路線バスがある。呉バス停で西鉄バス筑豊の路線バスと接続している。

仲哀隧道 (1889年竣工)

みやこ町側では旧道がヘアピンカーブが続く道であるため七曲峠と呼ばれる。旧道沿いにある仲哀公園が桜の名所として整備されており、地元では有名である。 この桜の原点は現美夜古青年会議所(旧行橋青年会議所)が1970年頃、社会開発運動の一環として数十本の桜を植えたのがきっかけである。 旧仲哀トンネルは1889年に完成し、筑豊地方からの石炭輸送を担った。旧道も国道指定は解除されたものの引き続き残されているが、旧道トンネルは現在、落盤の恐れがあるとしてガードレールで閉鎖されており、通行することはできない。歴史的に重要な建造物として国の登録有形文化財に登録されている。旧トンネル入口上部の銘板には「道隧哀仲」と記されている。 1963年に日本専売公社(現・日本たばこ産業)の職員がトラックで集金中、旧仲哀トンネル付近で殺害され、現金を奪われる事件が発生した。この事件の犯人は全国各地でほかに4人を殺害しており、世間を騒がせた。なお佐木隆三の小説で、1979年に劇場公開された緒形拳主演の映画『復讐するは我にあり』はこの殺人事件の殺人犯をモデルにしている(事件の詳細は西口彰事件を参照)。

  
仲哀峠

香春町とみやこ町の境には、筑豊と京築を隔てる山塊が横たわる。竜ヶ鼻(標高680.6m)と障子ヶ岳(標高427.3m)の間を県道64号苅田採銅所線の味見隧道が貫き、障子ヶ岳と飯岳山(または大坂山、標高573.0m)の間を旧道の仲哀隧道と国道201号の新仲哀隧道・新仲哀トンネルが貫く。

トンネルが刳り貫かれるまではどちらもかつては峠道だった。味見峠の名は仲哀天皇が宇佐神宮へ神境を奉納するため峠を越えたとき、峠にて豊前からの無塩の魚を味見したという言い伝えに因む。仲哀峠も仲哀天皇が峠を越えたことに因むが、味見峠のような小話はないようだ。

仲哀峠あたりは300m級の尾根が連なって鞍部という感覚に乏しい。「仲哀峠の頂上からはみやこ平野や周防灘の雄大な光景が眺められ、四方が山に囲まれた筑豊地方のほかの峠とは趣が異なる」(読売新聞)。峠道は現在、自然遊歩道らしい。地図や航空写真を凝視しても、道らしい筋は発見できない。

この仲哀峠にトンネルが開通したのは明治末期の1889年だった。仲哀隧道は赤煉瓦と切石の坑門を持つ素掘りトンネルで、七曲りの山道を登って5合目あたりに穴を穿った。延長432mのトンネルは1929年に有効幅を3.6mから5mに広げたが、1967年に国道201号新仲哀隧道が山裾を貫き、現在は不要の烙印を押されて廃坑になっている。

旧仲哀トンネル
手前にガードレールがあり、通行止めしてある。
 
 みやこ町HP画像
 
仲哀峠の名の由来:かつて仲哀天皇が熊襲征伐の折、この峠を通ったことに由来し、隧道が開削された谷には仲哀天皇腰掛岩など、 仲哀天皇にまつわる伝説があり、仲哀隧道、取り付け道路の峠道は仲哀峠と命名された。

仲哀天皇:『古事記』『日本書紀』に記される第14代天皇(
足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
在位期間 9年
父: 日本武尊(やまとたけるのみこと) 第二子
皇后:気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)

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