くろがね線宮田山トンネル(新日鉄八幡製鉄所)2001.4.9撮影
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観音寺の高層市営住宅の傍の金網越しに囲まれた通称鉱滓線を西へあがる。この線はくろがね線といい、現在も運搬用として使用されている。
炭滓線(現在はくろがね線)は昭和5年(1930年)に八幡製鉄所の鉱滓を戸畑地区の埋めたて地へ輸送するため、また八幡の工場と戸畑の工場との連絡用鉄道として、延々6キロにわたり建設された。この線の宮田山トンネル(全長1200m)工事は断層と湧水のため難航し、主として人力による掘削が昼夜をかけて進められた。八幡側トンネル側口はルネッサンス建築様式を、戸畑側トンネル口(西大谷1丁目)はローマ時代の古い城壁を模し、花崗岩を積み上げて作られた見事な洞門です。春から秋にかけては青々とした蔦の葉に覆われているが冬の間は華麗な姿を見せてくれる。現在でもくろがね線は戸畑と八幡を結ぶ大動脈として利用されている(市政だよりH13/2/15号より)
若戸渡船
定員170名、第17わかと丸43dは戸畑の浮桟橋を離れる。約3分間距離にして600メートルの船旅。若松区本町と戸畑区北鳥旛町を結ぶ若戸渡船の始まりは江戸時代で当時は大渡川渡船と呼ばれていた。昭和36年度1061万人の利用客が最高で、翌年37年若戸大橋が開通してから次第に減りつづけ、平成10年度は136万人になった。(市政だよりH13/2/15号より)
明治専門学校
明治42年現在の戸畑区仙水町に地元産業家安川敬一郎しと松本健次郎氏の親子により、明治専門学校の名で工業系の教育・研究機関として開校した。当時全国唯一の4年制の私立工業専門学校。以後大正10年には官立に移管され、昭和24年学制改革を経て九州工業大学になり、現在工学部、情報工学部、大学院工学研究科、情報科学センター、地域共同研究センターなどを持ち開かれた大学として地域の発展に貢献している。(平成11年11月15に市政だより)
仮称総合福祉プラザ 平成14年秋完成予定
戸畑駅東側に隣接する旧戸畑駅跡地に建設中、民間の機関や社会福祉関係団体が入居する複合公共施設で、市内の福祉活動の拠点になる床面積37、000平方メートル、13階建てで主な施設は次の5つ。
@ 複合公共棟 主に民間の福祉活動拠点。A 大ホール800S席B 中ホール300席C多目的ホール D世代交流プラザ 1300平方メートルの広さを持つ憩いと交流の広場 東側には3000平方メートルの公園を整備する。(平成12年11月15日市政だより)